自信がついて、素敵な出会いがあった卒業生からのご報告がありました。どうぞ、お幸せに…♪

 須崎先生、こんにちは。渡辺香織です。

 上手い言い回しが見つからないところもあり、少々長くなりましたが、アメリカへ行く前には報告をしておきたい!と思いましてメールしました。

●シルバメソッド受講のきっかけ

 私がシルバを始めて受講したのは、今から丁度3年前の1999年3月です。

 須崎先生とマクロビオティック(玄米菜食)のお料理教室で知り合い、沢山の悩み抱えストレスでいっぱいだった私を誘ってくれたのが受講したきっかけです。
(自分ではストレスが溜まっているとは思っていませんでしたが。)

 昔、自己開発セミナーに誘われ、嫌な思いをした事があるのと、シルバみたいなのは苦手というかピンと来なくて実感がわかないので、自分には無理(別世界の事)だと思っていた私は、どんな物かとちょっと迷いましたが、須崎先生を信頼していたのときちんとした施設でやるとのことで、受講することを決めました。

 私の性格はマイナス思考で、ちょっと何かあると不安になり、どうしたら良いか直ぐにクヨクヨ悩む。何かをやるには絶対に成功するという確証がないと出来なくて、失敗を許せない完璧主義者。
 自分に自信がなく、みんなで会話をした後に「あの時あんな事、言っちゃったけど、どう思われただろう?言わなきゃ良かった・・」
なんて、人にどう思われているか気になる。

●眠ってばっかり…でも、スッキリ!

 こんな私が初めてシルバを受けたとき花粉症の時期で、花粉症の酷い私は(言い訳?)アルファ・レベルに入った途端(目を閉じると?)直ぐに眠りに入ってしまいました。先生にも1番に眠っていると言われました。

 折角、受けたのだから頑張ろう!と眠らないようにと頑張っても、どうしても寝てしまう…。
 でも起きた時の気持ちの良いこと。あ?スッキリ!良く眠ったって感じ!
(今、振り返って考えてみると、直ぐに眠くなったのは ストレスのせいだった様に思います。)

 講義も一生懸命に聞き、404が終わった後も何度か教科書を一生懸命に読んだのですが、やはりピンと来ないし、私とは別世界の話のように思いました。

●受講後も練習するわ!

 それでも諦めず、先生にどうしたら良いのか、何をしたら良いのか聞いたところ、まずは、

・「レベルに入るテープを毎日聞く事」と
・「自分の出来そうなテクニックをやってみる事」

 と言われ、毎日、通勤電車で30分座る時間があったので、往復、電車に乗ると直ぐにテープを聞きました。でもこの時も良く寝るための睡眠薬のようで、未だにロングリラックスを最初から最後まで聞いた事ないかも・・・。

 また、手軽に出来るテクニックからやってみるよう言われたので、まずは、座れそうにない時に三本指のテクニックを使ってみましたが、座れるときは座れるし、座れないときは座れない。
 テクニックを使うと前との確立と比べて格段に座れるようになったとも思えない感じ。

 次にマインドの鏡のテクニックを使い問題点と問題解決後をイメージ。でもまずは、青い枠の鏡がイメージできないし、左に動かすイメージも出来ない。涙・・・。
 目を閉じて、何処にイメージしたから良いのか分からず、キョロキョロ。
(今思うと、テクニックに取らわれすぎていて内容が何処かに飛んでしまっていました。)

 どうもピンと来ないので、テクニックはやったりやらなかったり・・・。

 ピンとは来ないけど、一応テープは毎日聞き(ほとんど寝てたけど)時々、テクニックをやるというこんな調子が1年半近く過ぎた頃(2000年の8月)、シルバの卒業生が京都に帰られるとの事で焼肉屋で送別会があり私も参加させて頂きました。

●みんなすごいなぁ?

 その時、卒業生の一人が「シルバのお陰で、こう言う仕事がしたい!なんて思うと、ホントに来ちゃって忙しくなっちゃうから、変に思えないよな!これが欲しい!って思うと、手に入るのはうれしいけど」

なんて言う話をしていて、みんな凄いな!
本当にそんなことあるんだな・・・って思いました。

 でも、フッと自分の事を思い返してみると、昨年の終わりからFAX電話が欲しい!っと思っていたら、お正月に●●の売出しがあり、買いに行こうかと思ったら、母が子機が2つのが欲しいから、買ってきてくれれば今、実家で使っているFAX電話をくれると言うのでタダでFAX電話が手に入ったこと。

 年度末に人事異動があり、部長に「営業へ異動になったら辞めます。」っと言っておいたのに、営業へ異動になり見栄っ張りな私は言ってしまった以上、辞めないと格好がつかないと思ってしまうのですが、ここでカッカして辞めても良いことはない。マクロビオティックのお料理学校を卒業するのにはあと1年掛かる。(お金が掛かる)
 ここは見栄は捨て、あと1年(12月まで)頑張ろう!
 と、冷静に判断できたのは、もしかしてシルバのお陰なのかなぁ、なんてちょっと思いました。(でも実感はなし)

 自分が期限と思っていた、年度末(2000年12月)が近づいたのですが、どうも12月で辞めると言うイメージが湧かない。でも今の会社でずーっと働くというイメージも湧かない。(電機メーカで10年働いていましたが、やっている仕事は新人も10年目も変わらぬ雑用。このままここに居たら自分がダメになってしまう気がしましたし、精神的にも、もう限界でした。)

 12月で辞めるより、3月で辞めた方が丸11年になるので退職金も良いし、失業手当が4月以降は7ヶ月から5ヶ月に減ってしまう。また来期(4月)以降働いているイメージが湧かない。これは3月だ!っとイメージが湧き、1?3月で4月以降どうするかを決めようと決断しました。

 今までは上司に言われた事を嫌でもやってきました。これからは自分のやりたい事をやろう!っと決め何をやりたいか、また問題点をピックアップ

★やりたいこと:

1.自然食のお弁当屋さんをやりたい
2.健康に関する仕事がしたい
3.今までやってきたパソコンに関する知識を整理したい
4.ファイナンシャルプランナーの勉強がしたい

★問題点:

一人暮らしなので、学校へ行くとなると学費と生活費をどうるすか?」

1.はデフレで海苔弁が280円で売られている世の中、自然食のお弁当屋さんは600円貰わないと採算が合わない。人に出すほど料理に自信なし、自然食のレストランでバイトをして腕を磨きたいが、どこも赤字でバイト料が安く、生活できない
→うまく行くイメージが湧かず×

 その結果、取り敢えず失業保険を7ヶ月もらえるので、職業訓練校(給付中に入学すると学費はタダ、失業保険,交通費,1日700円お昼代をもらえる)に通よいたいと思いました。

 自己都合で辞めたので、最初3ヶ月は待機期間で失業保険をもらえないのですが、職業訓練校には入れれば待機期間が免除され、早くもらえるので、生活費も失業保険で何とかなるし。

 なので、4月開講の初級システムアドミニストレータ4ヶ月コースに申し込むことにしました。(選考方法は抽選、もしダメだったら、5月開講のファイナンシャルプランナーコース)

 しかし職安に行ってみると、応募期間の3月はまだ職に就いていたので、優先順位が1?5の最低の5・・・。

 担当者にまず無理でしょうっと言われました。確かに失業者が沢山居るので、無理かなぁ・・・と思いましたが、申し込んでみないと分からないので、申し込み、後は毎日、毎日、楽しく学校に通っている自分をイメージ。

 そしたら何と、入れてもらえたのです!

 2001年3月末で会社を辞め、1週間ほどのんびりし、直ぐに学校が始まり失業保険をもらいながら、教科書代以外はタダでプラス1日700円もらい、4ヶ月楽しく勉強することが出来ました。

 学校も後半、今後はどうしようっと思ったとき、8月に1ヶ月コースだったら、まだ行くことができるとのことでしたので、今度はネットワーク関係のコースに申し込み、こちらも入れ、またもう1ヶ月勉強し、2001年8月末に無事終了!

●野球場で座りたい!

 2001年の夏に友達と横浜スタジアムに巨人?横浜戦を見に行くことにしました。早く行けば外野の自由席でも大丈夫だろうと1時間以上前に行ったのに、席はもういっぱい。一番後ろの手すりの所に座っていましたが、開幕時間が近づくにつれ、人が増え座っていられない状況に・・・。

 お弁当を持ってきたので、人も増えちゃうし、始まる前に食べようと思ったら、お箸を忘れてきてしまい友達がお箸をもらいに行ってくれました。(お弁当も友達が作ってきてくれたんだけど。笑)

 そしたら何と!前の方に2席だけポツンと空いているのを発見!席が取れてしまい、開幕から席に座って観戦することができました。その友達に前々からシルバを話をしていました。その日に丁度、案内を渡す予定でした。彼もその後、受講し今ではとても元気です!

●それでも、実感が湧かない理由…

 そんなこんなを須崎先生にお話しすると
「おめでとう!渡辺さんもシルバをモノにしましたね!」っていうようなことを言って貰いました。

 でも私は「そうかなぁ?」って。ピンとこない。

 なぜなら、私の一番の問題「結婚」に関して何の進歩もなかったから。何年か前に親に半無理やり、結婚相談所へ入れられてからお見合いを始め、いつの間にか何十回としましたが「いいなぁ・・・」って思う人も現れず、自分の考え方がいけないのかと真剣に悩んだこともありました。

 最初は乗る気でなく始めたし、会っても会っても良い人と巡り会えないどころか、(自分のことは棚にあげてですが)「お見合いすることすら、時間とお金の無駄!」なんて思ってしまう相手ばかり。それでも、出会いがなくなってしまうので、止めるに止められずにいました。

●お見合いをしないで相手を捜す?

 この話を須崎先生にすると、

・結婚相談所には私の求めているタイプの人が居そうにないので、その時間とお金を他の出会いの場に向けてはどうか

・男性から見て輝いている女性は魅力的なので、自分を磨くことも必要

・結婚が目標なの?幸せな家庭を築くことじゃないの?

と、アドバイスをもらいました。

 確かに私も男性を見たとき、結婚、結婚!っと焦っている人より仕事をバリバリやっていたり、夢を持っている人に惹かれる。

 このことに気づき、今まで止めるに止められなかった結婚相談所を止めることを決意。そして今、自分のやりたい健康に関する仕事をしていれば、良い人と巡り会える気がしました。

 そして来年には結婚できる?!なんて思いました。(2001年夏)

●シスアド試験を受験したが…

 失業保険は2001年11月初めまで出るので、残り2ヶ月でリフレクソロジーの学校に通い資格を取ることと、折角、初級シスアドの学校へ通ったので、10月の国家試験を受けようと、勉強することにしました。

 初級シスアドは須崎先生に教えてもらった『大人の勉強法』を参考に勉強。いつも試験は模擬等で9割以上出来ていないと合格できない私。(完璧主義だから?)どうしても7割くらいしか出来ない・・・
 そして受験。(2001年10月)

 4択中、2択まではあっているが、ことごとく間違っている方を選択(涙) 自己採点でも合格点と言われている所まで届いていなかった。あ?やっぱりダメかぁ・・・センスないのかも。

 リフレクソロジーは近くに毎日でも通える学校で、集中的に勉強できるところをみつけました。

●30歳過ぎの女性事務での再就職

 できればリフレで食べていけれればっと思いましたが、直ぐには無理なので、取り敢えず事務の仕事をしようと派遣会社に登録しに行きました。でも、長く社員として働いていた私はどうも派遣で働くことにピンと来ませんでした。

 なので、2001年10月末に職安へ行き、正社員に応募することにしました。しかし30歳過ぎの女性事務での再就職は噂通り、難しそう。

 それでも3社選び、履歴書を送ってみました。そのうちの1社から面接をしてもらえ、給料は前の会社より下がってしまうけど、取り敢えず一人暮らしを出来るだけの金額はもらえ、全く経験はなかったのですが、資格を持っていたので、第二希望にしていた経理事務の仕事、家から近い会社に失業保険の切れる2日前に内定をもらうことができました。(後で考えると、すごいことですね。)

 ただ、一切パソコンを使わない、アナログ経理・・・。

 第一希望は情報システム部のようなネットワークやパソコンのインストラクターだったのですが、この世界は進歩が早いし、初級シスアドに落ちるような私ではついてくるのが大変。
それにこの程度だと仕事もない。
逆にアナログ経理は大変だけど、経理を覚えるには良いので再就職することにしました。(2001年11月初旬)

●『あの試験』に合格してた!

 2001年11月末、初級シスアドの合格発表がインターネット上でありました。まぁ一応見てみるか・・・っと見ると何故か私の受験番号がある?!なんで?どうしても信じられない。

 すると間もなく合格証書が・・・

 どうもギリギリだった私は、問題不備での加点のお陰で合格ラインを超えてしまったよう。
でも試験中、もの凄い集中力だったのは確かです。(最近ついてるわ。って、今だピンと来ず)

 2001年12月、さあ来年はどうしようっと計画を立てることにしました。
 申し訳ないですが、今の仕事はやはり魅力がない。

 やはり健康に関する仕事がしたい。

 なので年が明けたら、リフレクソロジーのバイトをして腕を磨く、アロマテラピーも必要なので、この資格もとる。
 そして半年後くらいにはリフレでやっていけるようにし、今の仕事で経理のノウハウを覚えてしまおう!っと計画。

●2002年6月が気になる…

 2001年12月にシルバの卒業生コースを受講。

 須崎先生に、「自分がこうなりたい,こうしたいと思うことを短い映画のように創造する」よう言われる。

 すると自分が結婚式でウェディングケーキを切っているシーンとかは全くピンとこなかったのですが、フッと

●自分が39歳で旦那さんと4歳の女の子と2歳の男の子とソファーに座ってニコニコしているシーン(良く年賀状にあるような感じの)

●一軒家で暮らしている様子

●旦那様は背広でない格好で帰宅するシーン

が思い浮かび、何度やっても、このシーンが浮かんできました。
(ただ残念ながら、旦那様の顔は分からず、欲を出してどんな顔かと思うと、うまく行きませんでした。)

 そこで初めて、「そうか!前に先生にアドバイスされたように、私は結婚したいけど結婚より、このような幸せな家庭を築きたいんだ!」っと実感。

 「39歳で4歳の子供って言うことは、35歳で出産するって事で、って言うことは34歳で結婚するんだ!」

 なんて、勝手に逆算して、って言うことはやっぱり来年に結婚するんだ!なんて思い込んでしまいました。そして何故か「2002年6月」が気になりました。

●でも、相手はどうする…?

 でも私は10月生まれなので、今はもう34歳。付き合っている人も居ないし、お見合いも止めちゃったし、あと10ヶ月しかないから、どう考えても無理なんじゃないの?って・・・

 思いつつも、何故か来年には結婚できる!なんて、ウキウキして安心感まで出てきてしまい、自分の頭が壊れてしまったのではないかと心配になり、先生に相談。すると、

 「こう言う事を『根拠のない自信』って言うんだよ。結婚、おめでとう!」っとなんて言われ、半信半疑。
(もちろんこの時も、シルバを使えるようになっているなんて思いもしていませんでした。)

●さぁ、やりたい仕事をするぞ!

 年が明け、2002年1月。
 さぁ今年はリフレクソロジーで食べていけるようにするぞーっと!

 手始めに、毎週土曜日にアロマテラピーの学校に通いだしました。お見合いは止めたけど、他に目を向けると言うアドバイスに従い合コンに参加。でもピンと来る人はいない。

 でも今年の第一目標は仕事だ!っとこちらに力を注ぐ。

●さぁ、やりたい仕事をするぞ!

 2002年2月末、知り合いから「良い人が居るから会ってみない?」と、連絡をもらいましたが、5歳年上の人で、年の近い人が良かった私は、
「ん・・・」って思いましたが、返事をする間もなく、「二人で気軽にお茶でも飲んできて!」っと名前と待合場所を言われ、行くことに。

 顔は良く分からないけど、相手が分かるんだろうなんて、正直、全然気乗りしないまま、行きました。

 相手も私が顔は分かるだろうって思ってきてました。それでも何とか会うことが出来、お茶をして一応、電話番号を交換。

 お互い折角、紹介してもらったし2,3回くらいは会って・・・っと、思って会っているうちに、何故か段々と意気投合。

 1日置きに会うようになり、あっという間にゴールデンウィーク。 (2002年5月)

 この頃、彼(現主人)に年内は付き合って来年くらいに結婚・・・。なんて話が出てきました。
 私もリフレクソロジーの件もあったので、「そうだね」って、二人して、いい年なのにの?んびり。

 それが1週間後くらいに急に、「やっぱり早く結婚しよう。親に言う」っと彼が言い出しました。「はぁ??」ってちょっと思いましたが、確かにこの年になると、気が合えば長く付き合っていても変わらないから、結婚してしまった方が良い感じがしたので、5月末にお互いの親にお互いを合わせました。

 そして2002年6月に両家の顔合わせをし、(良い日を選んだので結納は7月になりましたが)結婚式場を予約し結婚決定!方位や日にちなどを気にする私はちょっと専門の人に相談。
 結婚は式の日より、二人が動く(引越す)日にちと方位が大切と良い日と方位を何日か教えてもらい、10月4日に引越して入籍し、10月20日が大安なので、式場をとりました。

 2002月8月入り、新居のアパートを探し出しました。
 一番物件の動かない時期なので、空いているところはずっと空いていて、見に行くとちょっとピンとこない・・・。

 でも1部屋良さそうなところがあり、時期的になかなか空くこともないので、彼はそこで良いと言ったのですが、1階で真ん中なの等、どうしてもピンと来なくて、もう10軒以上見て回っていたのですが、まだ時間があったので、もう少し頑張ってみよう思い、自分が住みたいアパート

 「最近のシャレたアパートで、2階建ての2階の東の角の部屋」を寝る前にイメージしました。
 彼にもイメージするように言いましたが、やってはくれなかった…。

 それから1週間後、また別の不動産屋さんに行くと丁度、8月末に空くところがあるとの事で見に行くと、私がイメージしていたのとピッタリ! そしてここに決めました。

●1年前のメモに…

 2002年9月、須崎先生からお電話を頂き、「結婚をテーマにした講習会をやるので、成功者として一言を・・・」と、お話をいただきました。

 「そんな成功者なんて。確かにシルバのお陰で運は良くなってきたけど、私なんてまだまだ人にお話できるレベルじゃないんだけど・・・」
っと全くピンと来ていませんでした。(シルバみたいなのは苦手!って言う先入観が根強くあったんだと思います。)
と、思いましたが伺うことにしました。

 でもやはりお話しするなんて・・・どうしよう???と、困っていたところ、1月にシルバを再受講したときに、メモを取ったことを思い出しました。

それを見てビックリ!!!!!!

<メモ>
2002年1月12日

●6月に何かがある

●子供は男の子と女の子
 ・39歳で4才と2才
●何がやりたいのか?(したいのか?)
 ・結婚
 ・健康に関する仕事

2002年1月19日

●根拠のない自信

 ・私は今、相手はいないけど結婚できる
   ↓いつ?
  2002年6月(何かがありそう)
  10月?(誕生日前)

 私は2002年1月に今年起きることを予知してました!
 が、こんな事を思ったことも、メモしたことも
すっかり忘れていました。
(バカと言うか、分かってないと言うか、お粗末)

 結納は7月でしたが、両家の顔合わせをして、式場を取ったのは6月なので、実際に結婚が決まったのは6月だし、私は10月17日生まれなので、誕生日前の10月4日に入籍&引越しをしました。

 ギリギリ34歳で結婚!

 このメモを見たとき、やっと自分がシルバを使えるようになっていることを実感しました。
 須崎先生はもう1年も前に気付いていたのに、当の本人は・・・ホントにバカかも。

●突然のアメリカ転勤の辞令

 2002年10月、式場とちょっとゴチャゴチャしましたが、無事に式も終わり、新婚旅行へも行って、さぁ新生活だ!っと思った途端、主人にアメリカへ転勤の辞令が…。

「なんで???二人とも英語しゃべれないし、この年になって、どうしてアメリカへ行かなくちゃ行けないの?子供だって直ぐに欲しいのに、アメリカ行っちゃったら、どうするの?」
って久しぶりに落ち込みました。

そんな時、母親から一言

「あなた昔、結婚するんだったら、海外転勤の
ある人がいいな。って言ったじゃない。」と。

 確かに20代半ば頃は真剣に、海外転勤で3?5年くらい海外に住んでみたい!って思ってました。って言うことは、その思いが潜在意識の中に残っていて、叶っちゃったって事?
恐るべきシルバ!

 アメリカ行きでバタバタと2003年のお正月を迎えました。

●子供はどうなる…?

 友達に歯医者と産婦人科へは行っておいた方が良いと言われ、検診を受けました。

 産婦人科ではお互い特に問題なかったのですが、忙しいのと風邪をひいたのとで、子供どころではなく、お医者まからも「妊娠はないですね。アメリカへ行ってから頑張って!」と言われました。

 まぁアメリカへ行く事になったし、年も年だし子供の事だけに捕らわれるのは止めよう。

 アメリカへ行ったら、まずカナダへスキー、夏休みはディズニーワールド、冬休みはニューヨークでクリスマスを過ごすぞ!
 英会話スクール,エステ,お料理教室,マッサージを探して、通おう!って決めました。

 落込みがちだった気持ちも立ち直り、行くのがとても楽しみになりました。

 そんな時、買った家計簿に「あなたの目標を絵で書きましょう」っと言う欄がありました。
 絵は苦手だったので、主人に「5年後日本に戻ってくる時、4歳の女の子と2歳の男の子の子供と幸せな家庭を築いている。」
と書いてもらいました。

 そして主人にもイメージするように言いました。してないと思うけど…。

 主人が2003年1月半ば、先に渡米。私は少し遅れて3月末に渡米予定。
 渡米するまでの間、残り少ない日本での生活をエンジョイするぞー!っと連日連夜、遊びの計画を立てました。

●あれっ?体調が…

 2003年2月に入り、どうも体調がすぐれない。
 インフルエンザが流行ってたので、まずい!っと思い家でゴロゴロ。でもどうもダメ。
 そう言えば、お月のものが来ていない・・・
 トラブルなく、毎月キチンと来るのに、何か変な物食べて締めすぎたかなぁ?っと悩む。
(↑マクロビオティック的考え)

 そんな時、主人に破傷風の予防接種に行ったかと聞かれる。一応お月のものが来たら行こうと思っていたのですが、来ないので行っていないと言うと産婦人科へ行くよう言われました。

 でもなんとなく行きにくく、検査薬を買ってきて、自分でやってみました。

 そうすると1分を待つどころか、一瞬のうちに「陽性」反応。えっ?陽性ってどういうこと?
 陽性がどう言う事かは何処にも書いてない。普通陽性って言ったら・・・っと、半分パニックで分からなくなりました。

 なので次の日、病院へ

 検査の結果「間違いないですね。おめでとうございます!」っと。
 内心「妊娠は有り得ないって言ってたじゃん!」っと思いつつ
「ありがとうございます。」っと答える。
予定日は10月4日とのこと。

 帰り道、良く良く考えると、この子が4歳の誕生日を迎えた日、私は10月17日生まれなので、ギリギリ39歳だぁ!!!!!

 またまた1年前に浮かんだ映像通りになってしまった。

 そう、それに主人はサラリーマンなのですが、技術系なので、ほとんど背広は着ないし、アメリカへ行ったら一軒家に住む!

 おめでたを主人に報告。私以上に子供を欲しがっていたし、お医者様に有り得ないと言われていたので、もの凄く喜んでました。。

 そして一言「イメージするって大切だね!」だって。
 何かにつけて、「イメージして!」って私が言っていた時は全然信じなくて、やってなかったくせに。

 高齢出産なので、先天性異常の心配やアメリカでの出産の不安など、悩みは沢山あります。

 でも、映像では「39歳で旦那さんと4歳の女の子と2歳の男の子とソファーに座ってニコニコしている」んだから、大丈夫!っと思えてしまいます。何故か「悩まない」んです。

 落ち込むことも今だ、よくあります。
 でも直ぐに「でも」っと良い方へ気持ちを持っていけるようになりました。
 元々の性格上、悩んだり不安に思ったり、落ち込んだりするのを止めるのは、なかなか難しいと思います。

 でも直ぐに気落ちを立て直せるし、以前のように悩み続けることはほとんどなくなったので、私は「これで良し!」っとしています。

 何せ悩まなくなって、楽になったこと!
 先生にストレスが溜まっているっと言われたときはそうなのかなぁ・・・っと思い全然感じませんでしたが
(ストレスって自分では気付かないから怖いと言われますが本当にそうだと思います。)
 今思うと、ストレスの塊だったように思います。本当に心身ともに楽になりました。

 一番感じるのは、夢。
 前は夢をほとんど見る事がなく、見る時は悩んでいることがあって、そのことが夢に出てくる。なので夢を見るとあ?また悩んでる・・・って思いました。

 また夢を見る時は眠りが浅く、余り身体の調子の良くない時で目覚めは最悪でした。

 でも今は毎日夢を見ます。(良い夢だけはありませんが)内容もはっきり覚えています。2回見ることもあります。でも目覚めはとても良くスッキリ!

 今振り返って思うことは、これだけ色々なことがあったのに、1年以上も気付かずにいた自分がどれだけ固定観念に(自分にシルバみたいなことが出来るわけない!別世界の事)縛られていたことのお粗末さ。トホホ

 でもシルバのお陰で、今はこれからの事が楽しみで、楽しいです。
 これからの一番の楽しみは、子供の性別。どっちかな?

 須崎先生は「こうしたい!こうなって欲しい!」っと強く強く思うと、直ぐに現実になるそうですが、私は全然ダメ。

 私はボーっと考えていて、フッとこうなったら良いな。っと思い浮かぶ事が現実になります。

 今度は私も須崎先生のように、もっともっと自由に使えるようになりたいな。
(先生、次のステップはありますか?)

 もちろんシルバのお陰ですが、私にとっては須崎先生のお陰だと思います。

 シルバの受講生の方で、色々な先生のシルバを受けていらっしゃる方がいて、何度かお話を聞きました。先生によってそんなに違うのかなぁっと、ずっと疑問に思っていました。

 そんな時、他の先生のシルバを受講チャンスがありどんなものか一度、受講してみましたが、私にとっては須崎先生の講座が身近に感じました。須崎先生でなければ、今の私はなかったと思います。

渡辺 香織さま